2006年01月26日

ブログバトン


はじめまして!やあ皆さんはじめまして。
僕です、アメリカンショートヘアーの半次郎です。

あまりに唐突な僕の登場に、皆さん驚かれてる事でしょうね。

「青天の霹靂」に代わって、「逆転スペクトルに半次郎」なんていう新しい慣用句の必要性を思わず感じちゃうほどビックリした人も居るかもしれませんね!

世の中「猫は人間の言葉を解さないし話せない」なんて信じ込んじゃてる人ばかり(いっこうも含めて)ですけど、猫又先輩クラスともなれば化けることだってできますし、まだ三歳の僕でも日本語くらいなら何とかなるんですよ。漱石の「吾輩は猫である」はノンフィクションなのです。

・・・さて、実は今このブログの管理人のいっこうが僕の家に帰ってきてるんですけど、さっきそのいっこうがノートパソコンの画面を眺めながら、

「バトン受け取りたいんだけど、記事にするの難しいなー」

なんて独り言を呟いてたわけですよ。

どうやらいっこうが頻繁に訪問するらしいこちらこちらのブログで、同じ「ブログバトン」が落ちているのを見かけたみたいで、そこから

「同じバトン二つ一辺に拾ったら面白いかも!」

なんて着想を得たものの、いざ記事を書こうとすると内容がどうも満足いくものにならないまま何日も経っちゃって、頭を抱えちゃってるみたいなんです。

僕個猫としては「二つのバトンを一辺に拾う」なんて特に面白いアイデアだとは思いません。でも面白いと思うことなんて猫それぞれだし、一応いっこうは僕の家族だし、時々膝枕してもらっている恩義もあることだから、ここはいっこうの力になりたいなぁと思ったわけなんです。

そこでいっこうが両親と外食に行ってる隙に、こうして僕が代わりに記事を書いてこっそりラヴログにアップする「サプライズプレゼント」をしてみる事にしました。いっこう、喜んでくれるといいんだけど。

・・しっかし、肉球でキーボード打つの疲れるにゃー。


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posted by いっこう at 21:20| Comment(8) | TrackBack(2) | バトン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月25日

重力よりも

先月「重力がなくなったら」という検索キーワードで此処にたどり着いた人が居たが、地球に「重力」が存在しているのは当然であって、それが唐突に無くなる時が来るとは、普通の人なら誰も真剣には考えない。あのキーワード検索を試みた人も、まさか本当に近い将来「重力」がなくなるという可能性を危惧していたわけではないだろう。
我々は、いつか本当に「重力」がなくなり、地球がその遠心力によってみるみる自己崩壊してゆく段になって、やっと「重力」というものの真の大切さに気付くはずである。

・・この「重力」というのは多少大げさな事例ではあるが、「それ」が存在することがあまりにも当然過ぎることであったために、「それ」を失った段になってやっとはじめて認識される大切さ、というものがあるとされる。なるほど確かに我々は「ほんだし」や「カレーライス」を失ってはじめて、その大切さに気付くのだろう。

ざっと自分の周辺を見回してみるだけでも、そのような「当然のように在る大切なもの」は、服・健康な体・心の健康・電気・言葉・意識・脳・東京事変の新アルバムなど、実に沢山存在することが分かる。「東京事変よりだんご3兄弟のCDの方が大切だ」などの「大切さ」に関した個人の趣向の違いによる微妙な揺らぎについては議論の余地はあるだろうが、「大切で必要だけども存在が当たり前すぎて、普段それらの大切さを意識する機会がなくなってしまうものは多い」ということ自体には、頷いてもらえるだろう。

だからといって、そんなすべての「大切なもの」に対して、常日頃から「それを失った場合のツラさ」を考えてはその恩恵に感謝するなんてことを繰り返すのは、全く現実的ではない。
朝起きた瞬間から、いちいち呼吸のたびに地球に大気が存在する有り難さに真剣に涙し、視界に入った文庫本から「紙とインクと印刷技術がこの世から消失する悲劇」に真剣に思いを馳せたりしていたら、ベッドから降りるだけでも3日は必要になるだろう。やっとベッドから降りられた時、失った3日という時間の大切さにはじめて気付いたりしていては笑い話にもならない。

しかしながら、そんな無数の「大切なもの」の中でも、「それを現実に失う確率が比較的高く、失った時の自分の生活変化や心への影響が甚大なもの」については、自分がそれを失った時にどんな事を想うのか、その状況に対して自分がどんな対処をとれるのか、あるいはとれないのか、といったことを折に触れてある程度想定した上で、それを失わずに済むように思慮を重ねておくのが合理的であろう。

愛する人との関係を失って、はじめてやっと今更になって、その何物にも代えがたい大切さに気付いて後悔するなんて愚を犯すのは、流行歌やフィクションに繰り返し登場する浅薄な主人公たちや、考えなしの子どもであった過去の自分だけで充分だ。
これほど反復される「失ってはじめて気付かされる大切さ」の大合唱の現代にあって、幾許かの経験を積んだいい大人になってもまだ、恋人や友人たちなどの切実な大切さを失ってからようやく認識しているようでは、先が思いやられるというものだ。

そんな人はこの先も様々なものを失い続け、その度にはじめて気付き続けるのだろう。

無論あらかじめ想定していたからといって、実際に「それ」を失った時の悲しみや喪失感などが消えるわけではない。むしろ想定していた以上の感情の振幅が、自分に襲い掛かってくるものなのかもしれない。それ以前に、最善を尽くしても失ってしまうことだってある。

だが、「それが存在するのが当然」という状況に甘えきった自身の「無為無策」の顛末に過ぎない事を、「失ってはじめて知った」なんていういささかセンチメンタルに過ぎた心地よい自己憐憫の言葉で飾っては「感動」の文脈に手繰り戻そうなんて破廉恥な行為は、およそ褒められたものではない。少なくとも、今の私の美学に反するのは確かだ。



「重力」より遥かに失いやすい目の前の君は、

もしかしたら、

「重力」なんかより遥かに大切かもしれないんだ。
posted by いっこう at 23:15| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

2005年12月の月例報告



明けましておめでとうございます!

「世間じゃもう正月気分が抜けつつある今それかよ」
なんて呆れた方が多数居る事は想像に難くないが、私の家では宗教上の理由により

「毎年1月12日まで新年の挨拶をしてはいけない」

という鉄の掟が敷かれているという事実は、読者諸氏の想像には難かったことだろう。掟を破ると島流しなんだもん。

つーか不精でごめんなさい(泣)

正月に楽しい色々が立て続けに押し寄せたり、自分宛の年賀状が数枚しか来ない現実を前にフローリングの板目をぢっと見つめていたりで忙しく、新年一発目の記事を上げるタイミングを逸し続けているうちにこんな事態になってしまっただけだ。猛省します。

そんな、この記事を書くために12月分検索リファラ2000件を地道に辿ってムキーッ!、となったりもしている冴えない男のブログ恒例月例報告が、やっと始まる。


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posted by いっこう at 17:54| Comment(14) | TrackBack(0) | 月例報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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