2005年03月31日

戒め

あなたは容赦なく正しいことを言う
私が欲しいのはその向こう側なの

アンダンテ矢井田瞳」(2002年)より抜粋

矢井田瞳というアーティスト自体は特に好きでも嫌いでもないのだが、上に抜粋した2002年発表の「アンダンテ」の冒頭の部分は印象に残っている。

高校生の頃の彼女に言われた言葉に良く似ていて、耳が痛いのだ。

具体的に何を言われたのかは恥かしいので(!)書かないが、私が彼女にこういう事を言われるに至ったのにはもちろん理由がある。察しの良い方なら、過去記事を読むだけで大体想像がつくことだろうと思うが(苦笑)

当時の私は「論理」とか「思想」とかいうものに目覚めたてのお子様だった。
「論理や思想がすべて」とまでは思っていないまでも、それらを相対化できておらず、かなりの強さで重要視していたあまり、「論理」や「思想」を自分の周囲の人達にも過剰に求めていたところがあった。

もちろん、彼女にも。

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2005年03月30日

ギロンしたい!

テレビを見ていると、若者向けの「議論番組」というものを見かける事がある。
代表的なものには、NHKの「真剣10代しゃべり場」やNTVの「ジェネジャン!」などが挙げられるようだ。「学歴」「自己存在意義」「愛情」「命」「幸せ」などをテーマに若者達が意見をぶつけ合う「熱い」番組だ。

「熱くなってどうすんの?」「必死だな」などの言葉に代表される冷笑的な時代の空気への「カウンター」として、これらの番組は企画されているのだろう。実際番組ホームページをのぞいてみれば、そのような番組方針が熱く掲げられているものだ。

今日はそんな「議論番組」と、「議論」というものについての雑感である。

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2005年03月29日

イチローの耳

MLBのオープン戦を伝えるテレビを見ていて今更ながら気付いた事だが、イチローの耳たぶは驚く程薄い。天性の才能に恵まれているあのイチローが「逆福耳」だなんて、逆説的で面白いなと思ったのだが、そこでフト考えた。

「イチローは本当に幸せなんだろうか?」

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2005年03月28日

コミュニケーション序説

ジェットにんぢん 空とぶにんぢん
昨日見たんだ 夢じゃないのさ
ジェットにんぢん オレンジの光
すごいスピード ジェットにんぢん

ジェットにんぢんGO!GO!7188」(2000年)より抜粋

あなたは昼間に街を歩いている。
ふと空を見上げた時、そこに「オレンジの光」を見たとしたら、あなたはソレを何だと思うだろうか。

鳥?飛行機?流れ星?UFO?幻覚?

・・まぁ色々な解釈が考えられるだろう。

そんな時、それを「空飛ぶニンジン」だと真剣に主張する人がいたら?
多分あなたはこう思うはずだ。

「こんなヤツとコミュニケーションをとるのは不可能だ」

今日はそんな「コミュニケーション」について考えてみる。
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2005年03月27日

ゆるやかな自殺


人生で4本吸った事があるだけですタバコ喫煙に関する新聞記事に「ゆるやかな自殺」というキャプションが使われていた。
日々タバコを吸う事は、少しずつ蓄積的に自分の健康を害していく事であり、死に向かう小さいが着実な一歩である、ということらしい。

それは確かにそうなのだろうが、それを言うなら世界の全ての人間は「ゆるやかな自殺」の中にいる。



栄養のバランスを考えない食生活を送るのも「ゆるやかな自殺」
身を削って仕事一筋に生きるのも「ゆるやかな自殺」
自分の将来を考えず、その日暮らしの生活を続けるのも「ゆるやかな自殺」
限りある資源の浪費を気にとめない無関心生活も「ゆるやかな自殺」

このように「ゆるやかな自殺」を挙げればキリが無いわけで、人間のとるほとんどの行動は「ゆるやかな自殺」だと言う事だってできる。
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2005年03月26日

賢くなりたい、賢くなりたくない


1万人以上参加したそうな投稿話、最終章である。

皆さんは「一人ごっつ」という昔の深夜テレビ番組をご存知だろうか。
作務衣姿のダウンタウン松本人志が、「師匠」と呼ばれる大仏様から出されるお題に答えてゆくという形式の、知る人ぞ知るお笑い番組である。

その「一人ごっつ」の中で
「全国お笑い共通一次」
という企画が行われた。

それは「英語」「国語」「算数」「理科」「歴史」「心理学」等の各分野からの12問で構成される問題用紙を、希望する一般視聴者に配布し、返送された解答を「おもしろければおもしろいほど点数が上がる『おもしろ得点形式』」により採点するというモノであった。採点陣にはお笑いのプロ(板尾創路・木村祐一や松本にゆかりの深い放送作家達の名前が挙がっていたと思う)がそろった、厳正なるお笑い検定テストだ。

この企画は「ジャンプ放送局」以降眠っていた私の「投稿」魂に、大いに火をつけた。
いち「お笑い」ファンとして、かねてから松本人志に多大な敬意を抱いていた私である。そんな彼からの言わば「挑戦状」と呼べるものが眼前に突き付けられたのだ。これを引き受けなければ男がすたる。一も二もなく私は問題用紙を取り寄せることにした。
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2005年03月25日

路傍の立て札

投稿話第二弾である。

昨日の記事で書いたような事を経て、私はすっかり「投稿」にハマってしまった。
もう少し具体的に言うと、メディアを通して自分を確認するという作業が病みつきになってしまったのだ。

そんな私が、浅香唯のラジオ番組に投稿するのと並行して目をつけたのが、週刊少年ジャンプの巻末にあった「ジャンプ放送局」だ。
「ジャンプ放送局」とは、身近にいる変わった人を紹介する「奇特人間大賞」、日常のささやかな一瞬を切り取る「華麗なる一瞬」などの各「番組」に読者から寄せられる「ネタ」を発表する読者参加コーナーで、あまたある雑誌読者投稿コーナーの中では人気もレベルも高かった。それはネタを集めた単行本が20巻以上も刊行されたことや、当時の読者投稿者の中には現在構成作家で活躍する人などがいることを考えてみてもわかる。
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2005年03月24日

爆笑する神様

自分の書いた文章をBlogにアップする場合は、ラヴログのBlog管理画面から「新しくBlogを投稿する」というリンクをクリックする必要がある。
実は私はこの「投稿」という文字を見るたびに、昔の自分が思い出されて懐かしい気分になっていたりする。

今日はそんな私の「投稿」にまつわるちょっと壮大な話。
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2005年03月23日

あびる千夏

先日「どっちの料理ショー」を観ていて、どこか不自然だなぁと思っていたら、案の定番組の最後に「この収録はX月X日に行われたものです」という主旨のテロップがうたれた。
神業のような編集技術により完全に「居ないこと」にされている彼女に思いを馳せながら、私は今こんな記事を書いている。

そんなわけで、タレントあびる優が某テレビ番組での犯罪告白が元で自粛中である。
どんな事件か知らない人はキーワード「あびる優」でGoogleにお世話になればすぐわかる。死ぬほどヒットするはずだ。
それを完全に時機を逸した感のある今更蒸し返すのもどうかと思うが、まぁ聞いて欲しい。
といっても、犯罪を堂々と告白するあびる優本人や、それを放送に乗せた番組制作者達の「モラル」がどうのこうのということではない。例によってそれは私にとってはどうでもいいこと。

私が気になったのは「何故あびる優だけが批判されたのか」という一点だ。

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2005年03月22日

バランスが大事

ある事柄とそれに並立する事柄の二つがあって、そのどちらの事柄の方が重要なのかという議論になることがある。例えば「理性」に対する「感情」、「つめ込み教育」に対する「生きる力の教育」というような具合にだ。
大抵この手の議論は紛糾して水掛け論に陥りがちで、最後は「結局両方のバランスだよね」なんて所に収まるものだ。

「理性」と「感情」の「バランスが大事」
「知識」と「考える力」の「バランスが大事」
「国」と「個人」の「バランスが大事」

でも、そんなの当たり前だろ、ベイベー。
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2005年03月21日

お彼岸

私には弟が居た。
もう約20年ほど前になるが、不慮の事故によってその弟を失うことになってしまった。
以来、お彼岸やお盆などの仏事・行事がある時には、欠かさずお墓参りに行っている。
 
神様も死後の世界も霊も宗教も、普段は全く信じていない。
しかし弟に絡むことになると、どうしてもこの信念は揺れる。墓前で目をつぶり手を合わせるときはいつも、ここにいるはずの弟の霊に向けて語りかけてしまう。
本気で 「 死んだら終わり 」 だというなら――無宗教だというのなら――こんな 「 お彼岸 」 のような儀式には何の意味も見出せないはずなのに、今日も私は線香をあげて祈り、弟に近況を報告してきた。


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2005年03月20日

ある心理

昨日の夜blogの記事を書きながら、何気なく付けていたテレビから流れてきたニュースを聞いて鳥肌が立ってしまった。
それは、80歳の男性が「夕食のおかずの数が多かった」という理由で妻を絞殺してしまったという殺人事件を伝えるものであった。

いや、別にそんな馬鹿げた理由で殺人を犯してしまったという事に恐れおののいているわけではない。
「当人達にしかわからない蓄積が前提としてあった上での、単なるきっかけだった」という説明もあるだろうし、「人間ちょっとしたきっかけで人を殺してしまうものだ」という諦観を気取ってみたりもできるだろう。
冷たいようではあるが、私からすればその辺はどうでもいいことだ。

兎に角、私にとってのこの事件のポイントはそこではなかった。
その事件を伝えるキャスターの最後のこの言葉に、冷たいものを感じたのだ。

「殺された妻の遺体には、毛布がかけられていたということです」


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2005年03月19日

夢で逢えたら

昨日夢を見た。
夢にしては珍しく、妙に現実感を伴った割と論理的な構成だった。
何の脈絡も無いスケールの大きい展開の夢が好みな私にとっては、小さくまとまった少々物足りない夢だと言える。


ふと気がつくと、自宅でPCに向かっている私の隣には、MEGUMIがいた。
そう、イエローキャブ(移籍したのかな?)のリーサルウェポンであるところの、巨乳タレントMEGUMIである。
どうやら私の彼女という設定なようだ。
もう何年も付き合っているかのように、MEGUMIが横にいるのがごく自然なこととして、夢の中の私はその事実を全く抵抗無く受け入れている。何が面白いのかわからないが、彼女はキーボードを叩く私を眺めながらの他愛の無い会話を楽しんでいるようだ。
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2005年03月18日

論理のススメ


論理の力をつけたいならこの本がおすすめ私は「論理」というものが好きだ。
だがそれは、なにも哲学や分析や数学などの「小難しい」議論を特に好むという事ではない。
それらの議題について「考える」ことが好きだという事と必ずしもイコールになるわけでもない。

私が「論理」を愛する理由はひとつ。
自分が思っていることを、自分と異なる意見を持つかもしれない誰かに伝えようとする時に、とても大事な武器となるからだ。
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2005年03月17日

恐怖新聞

日本に新聞は沢山ある。
「事実を伝えるだけなんだからどの新聞でも一緒でしょ」
そんな冷めた意見も聞こえてくるが、それは大きな間違いだ。
ラテ欄やスポーツ面をみるだけなら確かにそうかもしれないが、社説などを見比べてみれば、各新聞の主張が驚くほど異なることがある事に気がつくはずだ。
「アサッテくんよりコボちゃんの方がほのぼのしてるから」なんて理由で購読する新聞を決めていては分からない事実がそこにある。

社会正義を守る使命に燃える朝日新聞。
自虐史観のアンチテーゼとして骨太な主張を貫く産経新聞。
日本経済の動向に冷静な視点で鋭く迫る日経新聞。

そんな中、私は自分の極めて深い所を鋭くえぐる、刺激的な新興の新聞を発掘した。

その名は・・
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2005年03月16日

想定の範囲内です

まだまだ世の中、ライブドアとフジテレビの勝負が話題である。
その騒動の中で時々使われるのが、

「想定の範囲内です」

という便利な言葉だ。

TOBの結果フジテレビが35%強のニッポン放送株を獲得したのも「想定の範囲内」なら、東京地裁で新株発行差し止めを命じる仮処分が下されたのも「想定の範囲内」だと言うわけだ。

ライブドアが最終的に買収に失敗し、それを契機に堀江社長が全てを失って新宿駅構内のダンボール製の家で寝泊りするようになっても「想定の範囲内」。
ライブドアが完全勝利しニッポン放送の現経営陣が退陣を迫られるに及び、その責任に対する精神的苦痛からフジテレビ日枝会長が東尋坊の崖の際で寂しげに佇んだりしても「想定の範囲内」。

要するに何が起こっても「想定の範囲内」ということは可能なのだ。
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2005年03月15日

六本木慎重派

私は常にどこか自分に自信が持てないタチなので、自分のやった事の確認作業は欠かしません。
blog用の記事を書く時でも、一度書き上げた文章の推敲に結構時間をかける方だと思います。この記事を投稿する時だって、必ず「確認」ボタンを押下して、もう一度文章を読み返すであろうことに1万カノッサ(この単位が通じないに1000カノッサ)賭けても良いくらい慎重なわけです。

学生時代も、テストの時は答案を提出する前に繰り返し確認は怠りませんでした。

中学の時の音楽のテストの時のこと。
その日は何だか調子が良くて、ほとんどの問題を自信を持って解く事ができ、満点をとれるような気がしてきました。
最後まで順調に全ての問題の答えを書き終えましたが、一つだけ気になる問題がありました。

『「花」「荒城の月」などで知られる明治時代の作曲家は誰か』

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2005年03月14日

夏がくれば思い出す

私にとって、夏がくれば思い出すのは遥かな尾瀬ではなく、歯医者で遭遇したあの出来事です。

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2005年03月13日

宣誓する犯罪者

老人や子供などの「弱者」や「弱点」を意図的に狙った犯罪は沢山発生している。
つい先日も、住民基本台帳を閲覧して母子家庭などを探し当てては、留守番中を襲う手口で犯行を繰り返していたという男が逮捕された。キャスターがこれ見よがしに顔をしかめて言っていた通り、この事件も母子家庭の子供という「弱者」を意図的に狙った、確かに「卑劣」な事件である。
このように、弱みにつけこんだ犯罪に対する人々の道徳的非難は、特に弱みにつけこんだわけではない犯罪へのそれよりも強くなるものだ。

それは何故か。

自然に考えれば「弱みにつけこむのはかわいそうだから」で済む話で、それよりさらに遡って考えることに多分意味は無い。必要も無いだろう。
しかし私は何か引っかかるものを感じ、もう少し考えてみたくなる。
習性みたいなものだ。
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2005年03月12日

それがすべてではない

「学歴がすべてではない」
「論理的思考がすべてではない」
ということは良く聞かれる言葉である。

それに対して、
「経験がすべてではない」
「直感がすべてではない」
ということが言われる事はほとんど無い。

「金」でも「感情」でも「美貌」でも「人生経験」でもなんでもよいが、「ある何か」が本当に「すべてである」などと思っている人は、居たとしても少数派であろう。
それなのに何故、「それがすべてではない」などと敢えて言う人が居るのだろう。
さらに何故、冒頭に挙げたように、その使われ方に偏りがあるのだろうか。

それは多分こういうことだ。
「ある何か」を自分がもっていない場合にだけ、「それがすべてではない」と否定したくなるだけのこと。

「学歴」や「金」などは、誰にでも手に入るものではない。
「直感」や「人生経験」などは、誰でも持っているものだ。
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